
「ヨシカさんは、なぜ慌てないんですか?」
「ヨシカさんって、トラブルや予期せぬ事態が起きても、本当に慌てないですよね。いつも落ち着いていて、ブレないですよね」
ありがたいことに、そんな言葉をいただくことがあります。
急な予定変更。思いがけない連絡。準備していたものが、直前になって予定どおりに進まなくなる。仕事をしていれば、こちらの都合などお構いなしに、いろいろなことが起こります。
それでも僕があまり慌てないのは、鈍感だからでも、トラブルに慣れきっているからでもありません。
答えは、僕の中ではとてもシンプルです。
自分の中に疚しさ(やましさ)がなく、いまの自分は真っ当に行動していると、自分自身が分かっているからです。
心を揺らすのは、外の風だけではない
人の心を揺らすのは、目の前で起きた出来事そのものだけではないように思います。
嘘をついていないだろうか。どこかでごまかしていないだろうか。人によって態度を変え、誰かを出し抜こうとしていないだろうか。
そんな小さな後ろめたさが心の奥にあると、外から吹いてきた少しの風まで大きく感じます。誰かのひと言に必要以上に反応し、「何か知られたのではないか」「自分はどう見られているのか」と、足元が落ち着かなくなる。
反対に、誰に対しても胸を張れる選択をしているとき、心には戻ってこられる場所があります。
もちろん、僕にも一瞬、心がざわついたり、慌てそうになったりすることはあります。何が起きても感情が動かない、ということではありません。判断に迷うことも、思いどおりにならないこともあります。それでも、「お天道様が見て喜ぶ選択だったか」「自分で考え、自分で決め、その結果を引き受けているか」と問い直せば、次にすることが見えてきます。
外でどれほど強い風が吹いても、自分の内側に隠しておきたいものがなければ、必要以上に怯える理由はありません。誤りがあれば認め、直すべきことを直し、また真っ当な一歩を選べばいい。僕にとっての「ブレない」とは、頑なに動かないことではなく、いつでもその軸へ戻れることです。
全機現を、微動だにしない独楽に重ねて
禅の世界に「全機現(ぜんきげん)」という言葉があります。
僕はこの言葉を、今この瞬間に、自分の持てるものを余さず働かせて生きることだと受け取っています。
それは、超高速で回る独楽(こま)の姿によく似ています。
独楽は、回転が中途半端なときほどグラグラと揺れます。外から少し触れられただけで傾き、ときにはそのまま倒れてしまう。
ところが、ものすごい速さで回っている独楽は、外から見るとピタッと静止しているように見えます。一本の軸がまっすぐに通り、触れれば弾き返すほどの力をたたえながら、その佇まいは静寂そのものです。
「動中の静」とは、きっとこういうことなのでしょう。
何もしないから静かなのではありません。今できる目の前のことに力を注ぎ、疚しさのない真っ当な生き方を回し続けている。行動が極限まで澄んでいるからこそ、心は静かでいられるのです。
周囲が騒がしいときほど、外側の音を止めようとするのではなく、自分の軸を確かめる。僕は、そんなふうにありたいと思っています。
ブレない軸は、今日の一歩から育つ
何が起きても動じない自分になるために、外側の出来事へ対処する技術を増やすことも、きっと役に立ちます。
そして、それより先に静かに見つめておきたいのが、自分の内側です。
小さな嘘はないか。見て見ぬふりをしていることはないか。誰にも見られていなくても、胸を張れる選択をしているか。
もし心に引っかかるものが見つかったなら、自分を責める必要はありません。今日ここから、真っ当な一歩を選び直せばいいのだと思います。
後ろめたさのない心で、今日できることに力を使い切る。
その積み重ねが、高速で回りながら微動だにしない独楽のような、静かで力強い軸を育てていきます。その佇まいに人は安心し、やがて信頼が集まってくるのでしょう。
どんな嵐の中でも、穏やかな笑顔と上機嫌で立っていられるように。
まずは今、自分が胸を張って選べる一歩から始めてみてください。